「巨人の星」のようなちゃぶ台返しこそなかったけれど、我が家の居間の中心にはいつも、長方形の卓袱台があった。
三世代が囲む賑やかな朝食、ブラウン管テレビの音、そして最後の一滴の日本茶で台を拭き上げる祖母の知恵。そこは単なる家具ではなく、家族の営みと絆をつなぐ大切な場所だった。
昭和の暮らしの中にあった、卓袱台を巡る温かくて少し切ない家族の記憶を、当時の風景とともに振り返る。
昭和の卓袱台という記号
昭和のちゃぶ台と聞いて昭和世代が思い出すのは大体巨人の星の一コマではあるまいか。
絵に描いたような(実際絵だけど)昭和のおやじが卓袱台ひっくり返すあの一幕である。
私は巨人の星を読んだことがないので(地元はカープのお膝元だし)、実際には劇中で何回ちゃぶ台がひっくり返ったかまでは知らない。あるいは勝手なイメージで、星飛雄馬のお父さんが卓袱台をひっくり返す人、という認識をしているだけかもしれない。
とにかくちゃぶ台は昭和の頑固おやじの性質を端的に表すために、毎度ひっくり返される舞台装置みたいなものだと思っている。
というわけで、今回は、昭和の居間の中心的存在、ちゃぶ台の思い出について語ろう。
ちなみに私の父は幸いにしてちゃぶ台返しするような人ではなかったので、安心して読み進めていただきたい。
我が家の卓袱台と、三世代の朝ごはん
円形ではなかった、長方形の卓袱台
卓袱台と言えば円形を連想するが、母屋の居間にあった我が家の卓袱台は、長方形だった。
やや赤みがある深いブラウン。使い込んだ木の色だったが毎日使われその度に拭かれていたのでつやつやして綺麗だったと記憶している。
居間掃除の際に祖母ひとりで襖に立てかけていたので、それほど重くなかったのだろう。
パン派とごはん派が同時に並ぶ朝
ちなみに当時母屋で生活していたのは6名。父は早朝に出ることが多かったので、残る5名が居間で一斉に朝食を摂っていた。
台所は広くてダイニングテーブルもあったが主にそこは調理台のように使われており、使用されることなかった。もっぱら、わざわざ卓袱台に料理を並べて食べていた。
祖父母、父、孫の三世代、食の好みが全然違うのでパン派とごはん派に分かれる。
祖母はせっせと祖父と自分の和食を用意するとともに、卓袱台脇まで持ってきたトースターを設置する。
子供たちは自分らでパンを焼き、卓袱台上に並んだバターとジャムを好きなだけ載せて食べる。
祖母はその間、我々孫のために目玉焼きも焼いてくれていた。
一緒に食卓にいた大叔母は、カフェオレに食パンを浸して食べる洒落た人だった。
居間に流れていた音の記憶
ボンボン時計と石油ストーブのある風景
さらに、居間の壁の高いところにはボンボン時計が掛けてあり、振り子の音が規則正しく響いていた。
夏ならば蝉の声、冬ならば真後ろに設置された石油ストーブの上の薬缶がシューシューと立てる音が重なる。(【関連記事】石油ストーブは魔法の調理場|昭和の思い出と現代で楽しむ注意点)
朝ドラを背に家を出る朝
そういえば居間にはテレビもあって、NHKの朝ドラが流れていたが、あまり見る機会がなかった。
その前には家を出ていないと小学校に間に合わないからだ。
朝の食卓を片付けることもなく朝ドラOP曲を背にバタバタと家を出ていた。

ごめんよ、ばあちゃん…(何回目)
卓袱台は、家と人をつなぐ場所だった
お客さんと果物とおせんべい
夕方に学校から帰宅して居間の襖を開けると、大抵はお客さんがいて卓袱台の上に季節の果物や煎餅が乗っており、祖母相手に来客がいろんな話をしていた。
以前お話しした『昭和の庭の記憶|祖母と庭師が守った庭木と、父が受け継いだ家の物語』でも触れたが、祖母はマメな人だったので顔も広く、とにかく我が家にはいろんな人が出入りしており、祖母は彼らにお茶を出して歓待した。
私は横にちょこんと座って、お持たせの果物のお裾分けをいただいていた。
だから私の子供時分のおやつはスナック菓子ではなく、果物やおせんべいが大半だった。
夕暮れから始まる、卓袱台の役割
仏壇と仏飯器と夕飯の支度
やがて、客が帰ると祖母は夕飯の支度を始める。
私はちゃぶ台の横、畳の上のカーペット上でゴロゴロしながらテレビを見ていた。
もちろんテレビは分厚いブラウン管。
上にはアンテナが乗っていて、映らなくなるとアンテナのダイヤルのようなものをぐるぐる回したり、伸ばしたアンテナの角度を変えたり、位置を右に左にやったりして、何かとご機嫌を取りながら電波をキャッチしなくてはならない。

そうこうしているうちに、祖母に「お鉢さん持ってきて」と呼ばれる。
仏壇にある足つきの器(仏飯器※という名らしい)を祖母に渡しにいくと、祖母は一足先に炊けていた白米を盛った。
仏壇に供え、祖母と並んで正座して手を合わせ、「讃仏偈」を唱える。(※参考:仏飯器について)
「仏さん」より先にお夕飯を食べるなんて、我が家ではありえなかったのだ。
「テショウ」を並べる孫の仕事
それから卓袱台を一拭きし、大皿中心の料理を並べ始める。箸や小皿(「テショウ」※という名称だった)を並べるのが孫の私たちの仕事だった。(※参考:伊万里・有田焼の「おてしょ皿」について)
炊飯器や汁物は卓袱台の横まで下ろして、その前に祖母が座る。父や祖父らの分を祖母がよそい、我ら孫と女性陣は自分たちで量を調節してよそった。
「いただきます」と手を合わせて賑やかな夕食が始まる。夕飯時のテレビは時代劇で固定されていた。クライマックスのチャンバラの音、将軍様が悪を成敗したり印籠が出る時のBGMが終わって少しすると、ボンボン時計が「ボンボン」鳴る。
卓袱台を拭く、最後の一滴の日本茶
やがて満腹になった祖父は隣室に移動して畳の上に寝そべり、そちらのテレビを見始める。(我が家は部屋の数だけテレビもある家だった)
父はそのまま卓袱台の向こうで横になり、うつらうつらし始める。
我ら子供や女性陣は食卓を片付ける。
あらかた食器を下げた最後に、急須に残ったままの日本茶をツーっと卓袱台に軽く流す。
それを広げるように台拭きで拭く。
どのみち急須には数滴残るのだから、拭き掃除に使うのは合理的だったと思う。
日本茶にはカテキンが含まれているそうな。
実は、カテキンには細菌やウイルスの増殖を抑える作用があると言われています。(※参考:日本茶に含まれるカテキンの作用については、日本カテキン学会の解説が分かりやすい。)
最後の一滴まで無駄にせず、ついでに卓袱台の殺菌効果も期待できる。昔の知恵ってすごい。

今で言うならサステナブルってやつだね。
卓袱台の記憶は、暮らしの知恵と一緒に残っている
これは我が家でも実践して子供たち後世に伝えるべき習慣、とは思う。
思うのだがしかし我が家では、いちいち急須で日本茶を淹れたりしないのだった。

だって洗い物が増えるし…。

…(呆)
とにかく、食卓で丁寧に日本茶を淹れるご家庭があったら、是非実践してみていただきたい。
私は…急須を買う機会があったら、やります。



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