薪で焚いた五右衛門風呂の記憶|昭和の暮らしと祖父の背中

薪の火のイメージ画像 昭和の暮らし

 皆さんのご家庭のお風呂って、どんなものですか?

「どんなものって、お風呂だから湯舟があってシャワーがあるよ」というお返事が返ってきそう。
 そもそも、この冒頭の質問の意図自体が、わかりにくいだろうな。
 もう一点質問を加えさせてもらいたい。

 皆さんのご家庭のお風呂って、何のエネルギーを使ってお湯を沸かしていましたか?
 
 ちなみに、私が育った実家のお風呂では、薪をくべていた。
 そう、ガスでもなく電気でもなく、薪だったのです!
 そんなわけで、今回は昔懐かし、昭和のお風呂の話をしよう。

我が家の五右衛門風呂の構造と釜場

一般的な五右衛門風呂のイメージ画像
↑これは一般的な五右衛門風呂のイメージ。我が家はもう少し現代寄りだった。

見た目は普通、中身は特別

 薪で焚くって言うなら五右衛門風呂だったんでしょ?

 そう言われるだろうが、少し違う。我が家の風呂は長方形で、わかりやすい窯の形はしていなかった。
 素材までは断定できないが、普通にホーローだったと思う。
 きちんと浴室の中にあって、洗い場はタイル張り。
 一見してちょっとレトロな、普通の風呂に見えるものだった。

 ところが、蛇口からは水しか出ない
 当時すらもう一般家庭にはお湯とお水が別々に出るカランが一般的で、薪で焚いている家はほとんど見当たらなかった。
 つまり我が家の風呂は当時としても珍しい遺物になりつつあったのだ。

別室にあった釜場の風景

 ところで、火をくべる釜場は別室にあった。脱衣所の横にもう一つ扉があって、そこから釜場に降りる。
 もちろん、土足なので下履きを履かねばならない。

我が家の薪で焚いてた五右衛門風呂の間取り


 裏口にあたるドア、天井近くの高い場所にポツンとある窓、吊られた裸電球。
 うずたかく積まれた薪、畑仕事をしていた祖父が使う農機具、荷車、灯油缶。
 灰の影響で、さまざまなものが煤けていた。
 あと、大層昔のものと思われる蓑と三度笠がいつまでも壁にかかっていた。それらが使用されているところは見たことがない。

 釜場に一歩足を踏み入れると、独特の匂いが鼻をくすぐった。
 乾いた薪の匂いと、少しツンとする煤(すす)の香り。
 火が回ってくると、パチパチという爆ぜる音と共に、どこか安心する温もりが部屋を満たしていく。

 薄暗い中で揺れる裸電球の光と、窯の中で踊る炎の赤。
 今思えば、あの場所は家の中でも一番、原始的で生命力に溢れた空間だったのかもしれない。

薪で焚く風呂の沸かし方

 当時のお風呂を沸かす手順は以下のものでした。

1. まず、蛇口をひねって浴槽にお水を張ります。
2. 適切な量になったら蛇口を捻って水を止めます。(忘れていたら大惨事)
3. 浴槽にフタをします。
4. 脱衣所脇のドアから一段下がった釜場に降りて、薪を使って火をくべます。
5. ちょうど良い温度になったら、フタを外す。
6. 陶製の「敷板」を湯舟に沈めます。陶製なのでもちろん重い。落としたら割れちゃう。
7. それから、上が熱く下の温度が低いので、洗面器で湯舟の中をかき回します。
8. やっと湯舟に浸かれます。

我が家の薪風呂の焚き方手順の自作イラスト

家族六人分のお風呂事情

 もちろん、頭や顔を洗うお湯は全部、洗面器で湯舟から汲む。

 シャワー? そんなものはない!

 というわけで、家族6人全員が風呂に入るころには、お湯がかなり減っている。
 そもそも、お湯だって冷めていく。薪で焚いた風呂は冷めにくいとは言うけれど、冷めるものは冷める。
 しかもお風呂って、入るタイミングが難しい。
 宿題をしたり、まったりしたり、テレビを見ていたりすると「今はいい」「私は後で」「そっちが先に入って」無駄に熱い譲り合いが起こるもの。
 6人もいると絶対にそういうダブついた時間が発生するのだ。

祖父が担っていた風呂焚きの役目

Q:その間、薪をくべた窯の中はどうなっているのか。
A:さっぱりわからない。

 何故なら私自身で風呂を沸かしたことがないからです!
 私が小学生の半ばでガス風呂に改良されてしまったので、自分で薪を扱うタイミングがないままになってしまった。

 当時のお風呂を沸かしていたのは、祖父でした。

 多分ちょこちょこ湯の量と加減を調節してくれてたんだと思う。
 本当にありがとう、おじいちゃん。(感謝が遅くなって申し訳ない)

都会育ちにとっての非日常

夏休みにだけ現れる特別な日常

 夏休みや冬休みなどで学校が長期休暇に入るタイミングで、広島市内に住んでいたイトコたちが我が家に遊びに来ていた。

 私たちよりよほど便利な場所に住んでいた彼らには、田舎の生活が面白かったようだ。
イトコらが遊びに来る時だけ、私も小遣いを貰えて駄菓子屋に遊びに行けた。(普段のおやつは旬の果物や煎餅だった)
 駄菓子屋で大量購入した水風船を公園で容赦なく投げつける合戦をした。
 夏はバケツに水を汲んで花火をし、冬は夜空にたくさんの流星群を見た。

 そうしてたっぷり遊んだ一日の終わり、私たちはあの薪の風呂に浸かるのだ。

 イトコ集団の中でも年上の兄貴分は、祖父の代わりに風呂を沸かしたがった。
 釜場に降りて薪を入れ、紙に火をつけ中に投入する。窯の前に座り込み、火加減を見て薪をくべるイトコの横顔は、それはもう真剣そのもので、夢中であった。
 私からしたら日々の出来事だが、彼らからしたら相当な非日常だったのだろう。

ガス風呂への転換と時代の変化

現代において薪焚き風呂の維持が難しい理由

 先述したとおり、そんな風呂も私が小学校の中学年くらいでガス焚きのものに変更された。
 理由はもちろん、諸々不便だからである。

・毎日風呂を沸かす祖父の体力がそろそろ限界
・追い炊きも面倒
・水を張る見張り番が面倒
・6人入ると湯の減り早すぎ問題
・敷板が重いし、その分掃除量が増える
・さらに、周囲に住宅が増え、風呂を沸かす際の煙が洗濯物に影響するとの苦情がきた
・孫も大きくなってくるしシャワーが要るのでは?

 等々、デメリットが無視できなくなり、浴槽にヒビが入ってきたあたりが好機であると改装されたのだった。

 当時子供だった私は、シャワーというものに大変感動した。
 感動しすぎて風呂場に傘を持ち込み、シャワーを流しながら傘をさすという馬鹿な真似をして当然叱られた。
 あと、風呂に水を溜めるのに見張り番が不要になったのも感動した。
 なにせボタン1つで任意の高さまで湯が張られていくのである。
 何という文明の利器!
 衝撃すぎるが故に結局、お湯がたまっていくのを最後まで見守っていた。(結局見張り番をしている)

 ところで、釜場はどうなったかというと。
 
 脱衣所から降りた釜場は裏口に通じていたので取り壊されはしなかった。
 だが積んでいた薪は無くなり、釜戸の扉は開かれることは無くなった。やがて祖父が畑仕事をしなくなると、鋤も鍬もなくなり荷車が置かれるだけの場所になった。
 ちなみに荷車は、近くのホームセンターでDIYの材料を買うときに重宝させてもらった。(私は車の運転ができないので)

 さらに時が経つと、裏口扉は封じられ壁の一部となり釜場自体に浴室と脱衣所、さらにトイレも移され、元浴室は洗濯物干し場になった。(荷車は庭の隅に移動した)
 天井が高く薄暗く圧迫感のある空間だった釜場は、実際には広かった事を知った。

薪で焚く風呂のメリットと記憶

 便利になった今振り返ると、あの「不便さ」は家族のコミュニケーションそのものだったようにも思う。
 「おーい、湯加減はどうだ?」「まだちょっと熱いよ!」そんな声の掛け合いが、家の中に温度を通わせていた。
 お湯を沸かすという一つの目的のために、誰かが火を見守り、誰かがお湯の具合を確かめる。
 そんな手間のかかるプロセスが、家族の絆をゆるやかに繋いでいたのだ。

身体と心が温まる理由

『毎日のお風呂を薪で焚くのは大変!』
 このままでは、そんなネガティブな記事内容だけになってしまいそうなので、最後にメリットもお伝えしたい。

・とにかく湯が熱い。体が芯から温まる。
・普通に少人数で入る分には、すぐに冷めなくていい。
・体感だがお湯が柔らかい気がする(あくまで個人の感想)
・窯の炎の揺らぎにはリラクゼーション効果が期待できる。
・ついでに芋とかも色々焼けます。
灰はガーデニングに使える。
(【関連記事】昭和の庭の記憶|祖母と庭師が守った庭木と、父が受け継いだ家の物語

 ちょっと一部無理やり感があったかもしれないが、非日常感は抜群だ。
 イベント感のためだけに環境を作るのはさすがに難しいので、薪で焚くお風呂を体感できる宿泊施設などを利用してみると、良い思い出になるかもしれない。

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