玄関を開けると、そこには祖母が慈しみ、庭師が整えた「四季」が広がっていた。
かつては牡丹が咲き誇り、子供たちの歓声が響いたその庭も、時の流れとともに姿を変えていく。本記事では、昭和の豊かな庭仕事の記憶から、荒れ果てた時代を経て、父が一人で挑む「庭の再生」までの軌跡を綴っていく。
築100年の古民家で、今なお息づく植物たちと家族の物語にしたい。
四季を彩った庭木と花の記憶
配置された庭木(松・クロガネモチ・椿など)
前回の「ドクダミ茶の作り方|祖母が庭の薬草で教えてくれた昭和の知恵」話でも触れたように、私が子供のころの家にはそれなりに立派な庭が存在した。ただ広いというだけでなく、植物たちの楽園であったと思う。
二本の松、そして庭の中心たる大きなクロガネの木を中心に、ツバキ、山茶花(さざんか)、つつじ、キャラボク、モッコウバラ、もみじ、千両万両などが彩りを添えていた。(※千両・万両の特徴についてはこちらの園芸解説が分かりやすい)
さらに、足元にはチューリップ、スズラン、キボウシ、ジュウヤク(ドクダミ)、牡丹といった多様な草花が植えられていた。

もともと、南向きという日当たりの良さから植物はすくすくと育ち、また、向かいの建物の一部が陰を作るため、陰性植物も混生し、趣のある苔までもが息づいていた。
かつては2本の松の間に小さな池もあったそうだが、父の誕生に際し、万一の事故を危惧して埋め立てられたらしい。今ではその場所は小径のようになっている。
ちなみに隣接する公園には数本の桜の木が植わっており、春が来ると、舞い込んできた花びらが庭に桜の絨毯を敷き詰めた。
五月には牡丹とつつじとモッコウバラが、秋には山茶花、冬には椿が咲き誇り、いつの時期も何かしらの花の色がある庭であった。
中でも牡丹は祖母の寵愛を受けており、毎年華麗な大輪を咲かせた。(牡丹の開花時期や育て方は、NHKみんなの趣味の園芸の解説が詳しい)
私が庭で遊んでいた折、家の前を通りかかった着物姿の女性が「この立派な牡丹を花材に使わせていただきたいので、どうかご家族に取り次いでもらえないか」と問うてきたこともあった。女性は華道教室の先生だった。
クロガネの木も、かつて「売ってほしい」という依頼があったと聞いている。
祖母が守り続けた昭和の庭仕事
あの庭がこれほどまでに整然と保たれていたのは、専ら祖母の努力の賜物にあった。
祖母は、忙しい家事や育児(私と妹は訳あって祖母に育てられていた)の合間を縫って、庭の整備を怠ることはなかった。
こまめに庭に出てしゃがんで草を抜き、常に朝と夕方には井戸水にの蛇口から繋げたホースで水をやっていた姿が思い出される。
玄関を開けた時、一番最初に目に飛び込む位置にチューリップの球根を祖母と植えたのは、私が小学校入学あたりであったかもしれない。その前で、制服姿で写真を撮ったような気がする。
しかしながら、庭の美しさは祖母一人の努力によって支えられていたわけではない。時折、庭師さんが入ってくださっていた。
壮年の親方とその息子さんの、親子二代による二日がかりの仕事であった。
庭を支えた庭師さんの仕事と親方親子の記憶
振り返ると当時の夏は今ほど灼熱ではなかった。
庭師さんは腰から蚊やり線香を下げていたが、祖母は別に縁側に蚊取り線香を置いていた。
そしておやつの時間になると、庭師さんのために茶を入れ、お茶請けの乗った盆を用意した。
子供であった私はよく、そのお盆を縁側まで運んだ。
庭師さんは「ああ、ありがとうね」と私に声をかけてくれ、父子で縁側に腰掛け、一服し始めた。(ちなみに、この場合の「一服」はタバコではなくお茶である)
一服中も、祖母と庭の話や世間話など、色々と話をしていたようである。
この頃は、古い家のあちこちを修繕してもらうために、時々大工の棟梁さんも来ていたが、皆さんあの縁側で庭を眺めながら一服されていた。(【関連記事】『縁側が繋ぐ記憶と今|古民家で過ごした夏の日々と、父が紡ぐ家との対話』)
しばしの休憩の後、親方さんの「そろそろはじめるぞ」という合図と共に仕事に戻られた。
梯子をかけ、手際よく松などを整え、雑草も刈り、切り落とした枝をササっと竹箒で回収していく。(松に関してはNHKみんなの趣味の園芸が非常に分かりやすい)
二日目の夕方前にはすっかり整った庭になっており、軽トラックに梯子などの道具を積んで去っていかれたのであった。
祖母亡き後、庭が荒れていった理由
やがて十数年経ち、祖母が亡くなってから、庭師さんも入れなくなった。
残された祖父は庭に興味がない人だったのだ。

まぁ要するにおじいちゃんは庭にお金かけたくなかったんよね。

おじいさんは倹約家じゃけんね。

よく言えば倹約家、悪く言えばケ…、

そこまでにしときんさい。

ちなみに庭師さんにお願いするん、二日でどれくらいかかったん?

まあ10万と少しくらいだったかねぇ。

…へー
10万と少し。そりゃあそうだ、専門職の2人で2日間働いてもらうのだし。
しかし当時のお金でそれくらいなら、今はもっとかかるだろう。加えて、我が家は半年ごとに来ていただいていた。今それをお願いするとしたら…価格は……💦
おじいちゃん、ケチとか思ってごめんなさい。
私もおじいちゃんと同じ選択をします。
蛇・ジョウロウグモ・ドクダミの繁殖
とにかく庭を整えることに注力する人は誰もいなくなった。(庭師さんも何かの事情で引退されたらしい)
それでも春には隣からの桜の花びらは庭を染め続けたし、数年は健気な牡丹が咲き続けた。
環境の良かった庭で樹木はそのまま花を咲かせてくれたが、その形は段々と奔放になり足元はドクダミが群れを成し、小径も覆い隠した。
かつて潜って遊んだ松の木の下は絡新婦(ジョウロウグモ)が大きな巣を作り、地面を覆う植物の間に時折蛇が往来しはじめた。
以前も軒下から蛇が出てくることはあったが、庭が整えられていた時分は隠れる場所もなく、するりとどこかにいなくなっていたのに。

ちなみに「絡新婦(ジョウロウグモ)」って見た目がものすごいから、調べる人は覚悟して調べんちゃい!
やがて、庭は無残に形を変えて「目を愉しませてくれるもの」から、祖母への罪悪感とともに「目を背けたくなるもの」になってしまった。
毎朝最初に開け放たれていた縁側のカーテンは、いつしか一日中閉じられたまま過ぎるようになった。
鑑賞する価値のない荒れた庭と、いつしか腰かける客人もなくなった縁側。
昔、台風19号の塩害で枯れてしまったもみじを前に、祖母は大層しょんぼりしていた。この庭の有様を見たらどんなに心を痛めるだろうか。分かっていても残された私たちは怠惰な性分の人間ばかりで、縁側の庭から目を背け続けた。
祖母が亡くなってから数年後、とうとう牡丹は咲かなくなった。
隣の桜も切られてしまって、春に届く薄い花弁はもうない。
父が受け継いだ庭木と再生の始まり
そうして今、古く大きな家には、父が一人で住んでいる。
仕事を引退した父はある日、何を思ったのか一人で庭に鉄パイプで足場を組み始めた。最初は庭師さんのように樹木の剪定をするためだと思ったけれど、手入れした後も足場はそのままだった。
次に切るときに使うからだそうだ。(まぁ確かに一人で片付けるのは危ないし、そもそもよく一人で組んだな)

…目を愉しませるために庭を整えてるはずなのに、樹木を取り囲む鉄パイプが主役になってるんですけど…

じゃあアンタが戻って庭をキレイにするんね?

ジュウヤク(ドクダミ)のスピードに勝てないし何より絡新婦が無理!!

じゃあ、何もしない人に口を出す権利はないねぇ

うぅ…(その通り過ぎてぐうの音も寝ない
鉄パイプ足場はともかく、意外だったのは父が庭木に詳しいことだった。
実家に帰る度にドアの開閉方向が変わっていたり庭にテラスが出来ていたり家具が増えていたりと、DIYに関してはその才能をいかんなく発揮する人だったけれど、まさか庭にも興味があるとは思っていなかった。
父は庭の多様な植栽の名前を全部言えるのだ。実家に帰るたびに色々教えてもらうけど、私は何度聞いてもそれらの名前を覚えられない。
新年の飾りに使う剪定枝
二、三年前から、新年を迎えるにあたって門松代わりに何か活けようと思いつき、年末の里帰りの際には剪定したものをどっさり貰って帰るようになった。
要らないと庭に放置されていた甕を貰って底に剣山を入れ、そこに松の枝を中心にして千両や万両、キャラボクやクロガネの枝も放り込む。
適当にやってるだけなのだがなんだか立派な新年の飾りが出来上がってしまうのだ。
現金な話だが、最近はやっと実家の庭が宝物に思えてきた。

そんな私たち相手に父は何だか嬉しそうで、「松ももっとやろう」「これも持って帰るか?」「木の芽も使え」と剪定ばさみをもって庭のあちこちを歩き回る。その姿を見て、祖母の亡き後、残された庭が荒れ果てていくのを一番残念に思っていたのは父であったろうなと思った。(でもそろそろ梯子に上っての作業は危ないので控えてほしいのだが)
昭和の庭を記録として残す意味
というわけで相も変わらず結局祖母の意思を全く継がない孫娘がただただ「昔はよかった」と思い出を語るだけの中身のない長話になってしまった。
私もこれを書きながら自分は本当に何もやってないな、とうんざりしてきた。
しかし、昭和の家の庭がどのように維持され、どう変化していくのか、当時の暮らしや庭師さんの仕事のことを記録として残しておきたいと思い、この記事をまとめてみた。
いつか自分たちであの古い家と庭をどうするのかを決めなくてはいけない日が来るのだろうけれど、こうやって文章にすることで何が大事だったのか認識する機会にもなるし、それが後々の判断の材料になる気がしている。
ちなみに、裏庭とか下庭とかもあって柿の木とか山椒とかもあったりするのでその話もまた別の機会にできたらいいなぁ。



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